本書は言うまでもなく「地動説」という正しい太陽系モデルを確立した科学技術上最大の書物のひとつです。これ以前は中世を通じてキリスト教々会の支持のもとに、プトレマイオスの「天動説」-地球を中心に太陽と惑星が回転しているという説-が信じられていました。この説だと動かない地球から観た場合、惑星は天空を一様に東から西へ動かなければなりません。
実際は地球も他の惑星同様、太陽のまわりを公転しているのですから、地球からみた惑星の動きは一様ではなく不規則で、逆行したりして見えます。この為プトレマイオスは複雑な工夫をしてそれを説明し、計算できる様にしたのです。けれども中世を通じて星の観測が発達すると、短期的にはともかく、長期的には実際の観測結果とは合わなくなって来たのです。
コペルニクスは古代ギリシアの天文学者アリスタルコスの唱えた太陽中心説に注目し、このモデルを用いた方が実際の惑星の運動を良く説明出来ると考え、それを証明したのでした。もっとも、彼もまたプラトン、プトレマイオス以来の伝統にそって、天体軌道は完全な円軌道であるべきと考えていたので、実際の観測結果と合わせるのにプトレマイオス的な複雑な計算を必要としたのですが。しかし、この事は後にケプラーがそれは楕円軌道である事を発見し、その事によってコペルニクスの説の正しさを証明し、更にニュートンが引力の法則を発見して、最終的にコペルニクスの説の正しさが証明されたのでした。
コペルニクスは、この説を最初1514年春頃に6ページ程度の手書きのパンフレットにして数部作り、信頼のできる科学者達に回覧しました。これは大評判になったのですが、彼は教会の目を恐れて自分の名前を記さなかったので、彼が著者である事は一般には長く知られなかったのです。けれども晩年になって弟子のすすめもあり、ようやく出版に同意したのです。これが本書ですが、出版された時既に彼は死の床についており、本書を手にして数週間後に死去したのでした。
本書の序文には、地球が動いているというのは単に惑星の運行を説明するための手だてで、実際に地球が動いているという事を主張するものではないということが述べられていて、この為コペルニクスは「地動説」を本当に信じていたのではないという説が死後長く信じられていたのですが、実はこの文は出版をまかされたオジアンダーという牧師が教会の追求を恐れて書き加えたものだったのです。1609年にこの事実を明らかにして、コペルニクスの名誉を救ったのもまたケプラーだったのでした。
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