専任教員インタビュー集
総勢500名超、特許事務所の会長として活躍
在籍する弁理士は90名超、総勢500名を超えるわが国最大級規模の特許事務所であり、国内出願でわが国第2位となる件数と、PCT出願と呼ばれる国際出願で世界第2位の件数を誇る酒井国際特許事務所。その会長を務め、KIT虎ノ門大学院で特許領域の講義を担当しているのが酒井宏明教授です。
こうした“重厚”な経歴とは反対に、酒井教授は自身の失敗談も包み隠さず、つねに謙遜しながら質問に答えます。弁理士になった経緯を尋ねたときもそうでした。
「そんなにかっこいい理由ではないんです。まずは法学部に入学したのですが、動機は地方出身だったので東京に出てみたいとか、そんなものでした。大学に入ると司法試験や弁理士試験など、熱心に取り組む人が多く、そのおかげで私は幸いにも若くして弁理士試験に合格したので、この道へ進むことに。偶然巻き込まれて弁理士になった、という言い方が正しいかもしれません(笑)」
弁理士に対して最初から強いこだわりがあったわけではありませんが、その職に就くことを決意すると、今度は思い切った決断をしました。
「弁理士として特許を扱うなら、技術も熟知しなければなりません。そこで法学部を中退し、当時その近くにあった大学で改めて電子工学を勉強したのです。技術を修得したことで、その後、特許出願の際に企業から渡される発明提案書の内容を理解できるようになり、適切な特許出願書類作成につながったと思います」
また、「当時は若く、ただただ目標に向かって、周りの意見に耳を傾けることもなくやりたいようにやっていたように思います(笑)」。と20代の頃を振り返る酒井教授。
人の言うことは聞かず、でもいざという時は人を頼る
弁理士になってからも、大胆な決断の連続でした。たとえば東京の国際特許事務所に入って数年経過した後、29歳からは、アメリカの法律事務所に2年間勤務。「弁理士は国際的な特許について早くから学ぶべきだと思いましたし、昔も今も知財の中心はアメリカです。現地の実務に接することが重要だと感じて行きました」。その後、日本に戻って独立や事務所の開設へと進んでいったのです。
さらに、その後、改めて知的財産法を学び直そうと、働きながら大学院に通います。
「このままでは、特許、そして知財について“表面的な理解”しかできないと感じて、改めて法学系の研究科に通いました。もっと深く学び、実務に落とし込めるようにしたいと考えたのです。大学院の講義は昼間でしたから、日中は大学院に通い、終わってから深夜2、3時まで仕事をする生活を6年ほど続けましたね。体力だけは自信がありましたから」
あくまで偶然たどり着いた弁理士の職。しかし、そうは思えぬ決断力でこの道を突き詰めてきました。
「危うい人生ですよね。思いついたら後先考えず突っ走るし、人の言うことも聞かない。すべて自己判断でやってしまいます。そのくせ、誰かの力が必要なときはきっちり人に頼りますから(笑)」
「コロン特許」でも感じた、実務に精通する意味
大胆な自己判断で積み重ねた経験は果実になり、30年前に設立した酒井国際特許事務所は、わが国を代表する規模に発展しました。
なぜここまで大きくなったのか、事務所の強みはどこにあるのか。そう聞くと、法律だけでなく、個々のクライアントのために、実務や技術に精通し、両輪を合わせられることだと言います。それはまさに、学生時代から両方を学び続けてきた酒井教授のテーマそのものでしょう。
「弁理士になりたての頃に印象的だった仕事が、デジタル時計の『:(コロン)』表示の特許に関する案件でした。たとえば8時10分を表すとき、デジタル時計では『8:10』と記され、間のコロン表示が点滅するものが多いですよね。これはアメリカの特許であり、あるとき日本企業が訴えられたのです」
若手だった酒井教授は、その案件の当事者である日本企業のサポート役に。このケースでは、特許の無効審判を提起する、あるいは、訴訟を起こして全面的に争うことも可能ですが、実際は特許権者が要求する請求金額に対して減額交渉を行い、話をまとめることに徹しました。この判断にも、法律と実務の両面を見る姿勢があったと言います。
「実務の観点から企業のダメージやリスクを考えると、このように穏当な形で終わらせるのがよいことが多いのです。特に訴訟は費用も時間もかかりますし、このとき訴えられたのは地方企業で、体力的にも難しい。実務の側面から考えることが非常に重要なのです」
だからこそ、大学院で教える際も、条文通りの単なる解釈ではなく実務の内容を入れながら伝えるとのこと。そうして現場で役に立つ人材を育てていきます。
そんな酒井教授の講義は、人柄そのままに明るく、気楽に話せる雰囲気。しかし反面で試験は難しいとよく言われるのだとか。「実務家になってから苦労させたくないですから、学生のうちに、現実は甘くないことを、授業と試験を通して伝えています(笑)」。
事務所の経営についても、世襲が多いこの業界にあって「世襲禁止」を定め、若い世代に託すことを狙いに60歳の役職定年も設けたといいます。低姿勢で謙遜を忘れず、しかし本質を見抜いて行動に移す大胆さを持つ。本人は否定するでしょうが、酒井教授をひとことで表すならそんな人物です。